MAMMA MIA! abba story
1974年4月6日土曜日、イギリスの海岸町ブライトンで、母国スウェーデンでは知られていたが他の国では知られていなかったグループが「ウォータールー」という曲でユーロビジョン・ソング・コンテストに優勝する。 ABBAの登場である。あとは単なる歴史ではなく、伝説となる。 今日まで、ABBAは世界中で3億5千万枚以上のレコードを売り上げている。
ユーロビジョンでの勝利の後、Agnetha Fältskog、Benny Andersson、Björn Ulvaeus、Anni-Frid Lyngstad(彼らのファーストネームのイニシャルをとってABBAと名付けられた)は世界のステージに躍り出ることになった。 Waterloo」は世界中のポップチャートの上位にランクインした。
その後の8年間。 ABBAは数え切れないほどのヒットシングル、プラチナアルバム、完売のコンサートツアー、そしてヒット映画「ABBA – The Movie」まで達成することになる。 当時、ローリング・ストーンズ、エルビス・プレスリー、ビートルズの3人だけが、より長くトップ10シングルを獲得していた。 一方、大西洋の向こう側では、アメリカでのヒットが続いた。10曲がトップ20に入り、「Waterloo」、「Take a Chance on Me」、「The Winner Takes It All」がトップ10入りを果たした。 Dancing Queen」はABBAを1位に押し上げた。 まさに世界的な成功を収め、「ダンシング・クイーン」は他の12カ国でも1位を獲得した。
「ABBAマニア」を体験したのはヨーロッパと北米だけではなかった。オーストラリアでは6作連続でナンバーワン・シングルを獲得し、4枚のアルバムがナンバーワンとなった(『The Best of ABBA』は今日でもオーストラリアで最も売れたアルバムである)。 彼らのメルボルンでのコンサートは伝説となった。 ニュージーランドでは6枚のシングルが1位を獲得し、さらに12枚のシングルがトップ20にランクされた。 メキシコでは、11枚のトップ10ヒットシングル(うち7枚が1位)と6枚のナンバーワンアルバムを獲得し、ジンバブエでは13枚のトップ10シングルと8枚以上の連続ナンバーワンアルバム(一般発売中のコンピレーションは除く!)を獲得しました。 日本では、「Summer Night City」「Chiquitita」「Voulez-Vous」「Gimme!」など14曲が「All Japan Pop 20」にランクインしている。 Gimme! 5752>
しかし1982年までにすべてが終わっていた。 新たなアルバムの計画は放棄され、代わりに「The Singles – The First Ten Years」がリリースされた。 この年は、グループにとって最後となるシングル「アンダー・アタック」のリリースで幕を閉じた。 しかし、ABBAがレコーディングやツアーをしなくなったにもかかわらず、彼らの音楽は楽しませ、熱狂させ、感動させ続けてきた。 ABBAはまさに継続的なサクセスストーリーである。 数え切れないほどのヒット曲は時代を超えて、今も発売当時と同じように、場合によってはそれ以上の人気を保っている。 ABBA Gold』と『More ABBA Gold』は今でも世界中で最も売れているアルバムである。 映画「ミュリエルズ・ウェディング」と「プリシラ、砂漠の女王」はABBAの音楽をフィーチャーし、また新しい世代のファンを獲得した。 マンマ・ミーア!のオープニングでは、劇場に足を運んだ人々が通路で踊り、思い出を蘇らせたり、初めてABBAサウンドを発見したりしただけでなく、ロンドンでのショー初演から数週間でアルバム「ABBA Gold」がイギリスのチャートで再び1位を獲得した。