痛みに耐えて
2012年、60歳のときから左脇腹に断続的に痛みを感じるようになったんです。 私は数年前に乳がんの治療を受けていましたが、その時はBRCA2という遺伝子異常があることを知りませんでした。 この異常は、乳がんや卵巣がんだけでなく、膵臓がんにも関係しているそうです。 運転が原因だと思われる腰痛があり、食欲も落ちていました。
内科医と話し、痛みが胆嚢に関係している可能性があるかどうか尋ねました。 彼女は、胆嚢は左側ではなく右側にあるからダメだと言いました。 左胸郭の下に違和感があることを伝えると、膵臓は左側にあるが、運転による痛みの可能性が高いと言われました。 当時、私は環境サービス会社でアカウント・エグゼクティブを務めていました。
彼女は心配することはないと言ってくれましたが、膵臓酵素のテストを行いました。 彼女は婦人科を受診して左の卵巣を検査してもらうよう勧めました。 (20代後半に右卵巣を摘出したのですが、卵巣を飲み込むような固い嚢腫がありました)。 また、胃腸科で大腸内視鏡検査を受けることも勧められました。
卵巣と大腸の検査で痛みの原因がわからなかったら、次はどうするのか内科医に尋ねたところ、もしそうなったらCTスキャンをするとのことでした。 8週間後、私はまだ何も診断されていませんでした。 血液検査のために内科医に再度診てもらったところ、痛みが悪化して胃にきていること、さらに体重が減っていることを告げられました。 彼女は私にCTスキャンを命じた。 2日後、膵臓に病変があることを電話で告げられました。
正しい治療
私はサウスカロライナの自宅近くの腫瘍専門医のもとで治療を開始しました。 セカンドオピニオンを必ず受けようと思っていました。 正しい治療を受けるチャンスは一度きりだと思ったからです。
2012年12月にCancer Treatment Centers of America®(CTCA)に電話をして、シカゴにいる代表のマット・オーウェンズと話をしました。 2週間後には、タルサのCTCAでケアチームと1週間のミーティングを行いました。
サウスカロライナで開始した化学療法は、CTCAでも続けられました。 FOLFIRINOXというレジメンを計6回受けました。 治療の目的は、手術が可能なレベルまでがんを縮小することでした。 化学療法を6回行った後、PET検査で膵臓尾部の腫瘍は消えていましたが、腹部リンパ節に癌があることが分かりました。
さらに6回の化学療法を行った後、PETスキャンで目に見えるがんの兆候は見られませんでした。 外科医のグリーフは、他の腫瘍学者と相談し、手術が有効であろうということになりました。 手術にはリスクが伴いますが、私には喫煙や肥満といった健康上のリスクがないため、手術に踏み切ることに意味がありました。
2013年9月に10時間のサブウィップル手術を受け、膵臓の60%、脾臓のすべて、左副腎、左卵管、右卵巣、胃の被覆を摘出しました。 また、手術中に術中放射線療法を行いました。
治療は大変な時もありました。 手がしびれたり、口内炎がとても痛く、それが化学療法中ずっと続きました。 6時間の化学療法点滴の後、自室まで自力でたどり着けないこともありました。
でも、実は、自室まで自力で行く必要はなかったんです。 いつも誰かが助けてくれていたのです。 私のケアチームは、口内炎の痛みを軽減し、できる限りの方法で快適さを提供するために最善を尽くしてくれました。
人生が再び始まる
今日、私はとても気分が良いです。 化学療法と手術が終わってから、さらに3回PET検査を受けましたが、いずれも目に見えるがんの兆候はありませんでした。 4ヶ月ごとにタルサに戻り、経過観察をしていますし、追加の予防手術の準備もしています。
散歩もできるし、ヨガ教室にも通えるし、フリーウェイトで運動もできる。 保留にしていたヨーロッパ旅行もまた考え始めています。 友人とランチに会ったりしています。 そして、ゴルフのスイングを診断される前の状態に戻したいと思っています。
膵臓がんと診断される前は孫が一人いましたが、今は二人になり、二人目は化学療法終了の翌日に生まれました。 孫の成長を見守りたいという気持ちもありますし、単純に生きることが好きなので、家族の存在が私のモチベーションになっています。 まだまだ冒険の旅は続きますよ。